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イワン・ティルタ氏の経歴 イワン・ティルタ氏(生年月日:1933年4月18日)は、ジャカルタのインドネシア大学を法学士として卒業、法学部国際法学科の教員となり、その後、ロンドンに留学し、経済スクールおよび東洋・アフリカ研究スクールで学び、帰国後、インドネシア大学法学部の国際法学専攻の助教授に抜擢された。 1964年、イワン・ティルタ氏は、アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘブンのイエール大学に進学し、1965年に法学士を取得した。1968年には、ニューヨークの国際連合のアドレイ・スティブンソン財団より奨学金を受給し、1970年ジャカルタに帰国した。 美術に興味を持ち、バティック美術について様々な研究をするようになり、その成果を”BATIK, PATTERN AND BATIK” (バティック、パターンとバティック)という題名の本を執筆し、1967年にジャンバタン社から出版された。 また、ニューヨークのジョンDロックフェラーV世財団から、中部ジャワ王宮の舞踊を研究するための奨学金を受け、その成果のいくつかが出版されている。 その他の興味深い本として、レイモンド・ラウとの共著による“BATIK THE MAGIC CLOTH”(魔法の布バティック)があり、1974年にプルタミナ(国営石油ガス公共企業体)の出資により出版された。 1996年6月7日には、バティック美術を取り上げた“BATIK A PLAY OF LIGHT AND SHADES”(バティック・光と影の遊び)という題名の本が、ジャカルタのガヤ・ファフォリット・プレスから出版され、イワン・ティルタ氏の関心は、しだいにバティックのデザインに向けられるようになった。 イワン・ティルタ氏の最初のバティック展示会は、”MENGHIDUPKAN KEMBALI MOTIF-MOTIF KUNO” (伝統のモチーフの再生)というテーマで、1973年にジャカルタで行われ、その後も、国内はもとより、シドニー、シンガポール、メルボルン、キャンベラ、クアラルンプール、バンコクなど海外でも次々と展示会が開催されれた。 香港、東京、カイロ、ローマ、パリ、ベルリン、ニューヨーク、サンフランシスコ、ダラス、ヒューストン、リオデジャイネロ、ブラジリア、マニラ、フィージー、ポートモレスビー、サンパウロ、大阪、バンクーバー。 イワン・ティルタ氏は、オランダのジュリアナ女王、イギリスのエリザベスU世女王、スペイン国王夫妻、スエーデンのリリアン王妃、ベルギー国王夫妻、ヨルダンのフセイン国王、アメリカ合衆国のレーガン大統領夫妻、その他、各国の総理大臣夫妻など、諸外国の元首がインドネシアを訪問する際に、しばしばバティックの展示会やファッションショーの開催を求められている。 イワン・ティルタ氏の創造力の開花は、さらに一歩前進し、既製服の分野に参入することになる。それでもなお、オートクチュールの世界は、変わらずイワン・ティルタ氏を魅了し続けている。これについては、ハーパーズ・バザール(1968年1月アメリカ版)、ヴォーグ(1971年7月フランス版)、オーストラリア・ウーマン・デイ(1971年12月)、チックマガジン(1973年11月)、アーキテクチュラル・ダイジェスト(1975年3月~4月)、メゾン・エ・ジャルダン(1975年6月)、ヴォーグ・リビング(1975年6月)、ニューヨーク・タイムズ(1975年6月26日)、アジア・ウイーク(1976年9月)、オリエンティーク (1977年3月)、香港スタンダード(1978年11月)、リビング(1981年2月)、アジア・ウイーク(1981年4月)、ニューヨ―ク・デイリー・ニュース(1982年7月2日)、ナショナル・ジオグラフィック(1989年1月)など、世界の多くの雑誌で取り上げられている。 また、金属製品(インドネシア・スタイルとも言うべき全国的な伝統装飾)、イカット織、ソンケット織、プランギ織、木製品など、いろいろな種類の工芸品も手がけ、イワン・ティルタ氏が創作したこれらのものは、質の高い作品として、国際的に認められている。 イワン・ティルタ氏が主催したファーションショー および 海外での展覧会のリスト
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